17.岡山ゆかりの医人 荒木 寅三郎の紹介


岡山医学史研究会・医学史研究会 合同医学史研究会

2019年(令和元年)9月28日(土)

於:岡山県医師会館5階

 

岡山ゆかりの医人荒木 寅三郎の紹介

(1866-1942)


岡山ゆかりの医人

楠本 イネ(シ) 

別府 琴松(適)

緒方 洪庵(適)

横山 謙斎(適)

国府 彰哉(適)

石坂 桑亀(シ)

石井 宗謙(シ) 

児玉 順蔵(シ)

金光 廉平(適) 

秋本 運旭(地元医師会)

額田 晋(大学) 

額田 豊(大学)  

額田 篤太(大学)

秦 佐八郎(三高等中)

 

シ:シーボルト・鳴滝塾、  適:適塾、 大学:大学創設者   三高中:第三高等中学校


荒木 寅三郎(1866-1942)の経歴概略

1866年(慶応2)、上野国碓氷郡板鼻村(現在の群馬県安中市板鼻)で、町医の次男として生まれた。

          11歳の時に東京 萩原塾に学ぶ。

1882年(明治15)15歳、東京大学医学部別課に入学。

1887年(明治20)20歳、同大学を卒業。郷里で医師として家業を継ぐ。

1888年(明治21)21歳、再び上京し、帝国大学医科大学 生理学教室の大沢謙二教授に入門。

1889年(明治22)22歳、ドイツ Straßburg大学に留学、生化学を学んだ。

1896年(明治29)29歳、第三高等学校医学部(岡山市)の生理学・衛生学教授。

1899年(明治32)32歳、京都帝国大学医科大学医化学講座教授。

1903年(明治36)36歳、京都帝国大学医科大学長。

1915年(大正4) 48歳、京都帝国大学で初めて公選により総長に就任。

1929年(昭和4) 62歳、学習院院長に任命される。

1937年(昭和12)70歳、枢密顧問官に親任される。

1942年(昭和17)75歳、1月28日心筋梗塞のため急逝。享年75。


東京大学医学部名称の変遷

1858年5月    種痘所

1858年12月  種痘所(火事のため移転)

1860年10月    種痘所(幕府直轄)

1862年10月  西洋医学所

1863年2月      医学所

1868年6月      医学所(幕府倒壊により閉鎖、新政府により復興)

1869年2月       医学校兼病院

1869年12月  大学東校

1871年7月  東校

1872年8月  第一大学区医学校

1874年5月  東京医学校      (別課設置1875年から10年間)

1877年4月  東京大学医学部    (1882年、荒木が別課入学)

1886年3月  帝国大学医科大学   (1888年 生理学教室に入門)

1897年6月  東京帝国大学医科大学 (1897年、京都帝国大学の創立)

1919年4月  東京帝国大学医学部 (1899年、荒木が京都帝大教授)

1947年10月    東京大学医学部


岡山との関り

1.1896-1899年、第三高等学校医学部生理学・衛生学教授就任

  1898年、秦佐八郎を北里柴三郎に紹介

2.1923年、倉紡中央病院の創立に協力


秦 佐八郎 (1873-1938) の 事跡

1898年(明治31)、荒木寅三郎教授の推薦により

  大日本私立衛生会 伝染病研究所(所長:北里柴三郎)に就職。

 

1910年、ドイツ留学中にTreponemapallidumに有効な

     サルバルサンを開発(PaulEhrlich(1854-1915)と共同研究)

島根県益田市の実家跡に

建立された胸像

1891年から1895年まで

第三高等中学校医学部(岡山市)で学んだ。



倉紡中央病院(1927年倉敷中央病院に改称)は、1923年(大正12年)6月2日、倉敷紡績株式会社社長、大原孫三郎(1880-1943)により創設。

 

設計理念

1.治療本位(研究目的でない、真に患者のための治療)」

2.病院くさく(らしく)ない明るい病院

3.東洋一の理想的な病院

 

1918年頃から荒木寅三郎京都帝国大学総長に意見を求め、協力を得て、多くの優秀な人材を集めた。また、ヨーロッパから最新の医療機器、施設・設備、最新の医学情報を得るために、多数の医学図書を購入した。


現在の倉敷中央病院(1166床)

職員総数 3,226人(2019年4月1日現在)

医師  501人

看護師 1,339人

薬剤師 103人

事務員 628人


荒木寅三郎の墓(群馬県)1. (群馬県安中市板鼻)



荒木寅三郎の墓(群馬県)2.



荒木寅三郎の墓(群馬県)3.


墓石の左右側面に経歴の碑文は刻まれていない。

 

裏面に

 昭和十七年正月二十八日歿 七十七

 昭和二十二年五月三十日没 七十一


娘は陸軍軍医中将石井四郎(関東軍防疫給水部部長、通称731部隊)の妻


結 語

岡山ゆかりの医人“荒木寅三郎”を紹介した。

1.1896年から3年間岡山市に在住し、第三高等学校医学部で生理学・衛生学教授を勤め、

  1898年に秦

佐八郎を北里柴三郎に紹介した。

2.1923年、倉紡中央病院の創立に人材紹介などに尽力した。

3.輝かしい経歴

   ドイツ留学後、

    32歳、京都帝国大学医化学教授

    36歳、京都帝国大学医科大学長 48歳、京都帝国大学総長、

    62歳、学習院院長、      70歳、枢密顧問官。

4.第三高等学校医学部時代の業績は今後調査する。